きっかけ
15年間勤めた工場の閉鎖を機に、派遣社員として働いていた私は人生の次のステップを考えることになりました。
休日は主にネットゲームで過ごし、時々「自分でもゲームを作れたらいいな」と思うことがありました。このような小さな夢を持ちつつ、自分の本当にやりたいことを見つけるため、退職する前に紙に自分の願望を書き出しました。
その中で、プログラマーになることが自分のやりたいことの一つであることに気づき、自分の人生を「やりたいことをやる」方向に進むことを決心しました。
プログラミングスクール
自分の夢を実現するために、まず自分が本当にやりたいことを見つけ、それに必要な資金が十分にあるかを確認することが重要でした。私の場合、幸いにも夢を追いかけるための資金には困りませんでした。
そこで、プログラミングに挑戦することにし、MacBookを購入して独学で学び始めましたが、
すぐに挫折してしまいました。
ただ諦めるわけにはいかず、自宅から2時間かかるプログラミングスクールに通うことを決めました。
学ぶ言語としてC言語を選びましたが、それは特に深い理由があったわけではなく、単純にカッコいいと感じたからでした。
スクールの先生はC言語よりもJavaなどの言語の方が市場での需要が高いと説得されましたが、私はC言語を学ぶことに固執しました。
学び始めてみると、C言語の難しさに直面し、何度も挫折の瀬戸際に立たされました。
与えられた宿題の練習問題には朝から晩まで取り組み、文字通りプログラミングに没頭する日々を過ごしました。このような努力の末、約20回の授業を終えてプログラミングスクールを卒業することができました。
しかし、プログラミングスクールを卒業した後も、学んだことは言語の基礎文法にとどまり、実際に何かを作り出すことはできませんでした。
そして、プログラミングを学ぶことにかけた情熱は次第に薄れ、他の興味や活動が忙しくなる中で、プログラミングの知識も徐々に忘れていきました。
東京へ
貯金があったので、新しい生活を求めて東京へ上京する決心をしました。
仕事探しにあたっては特にこだわりはなく、興味を持った職種に幅広く応募しました。
その中には、プログラマーの職にも応募しましたが、残念ながら不採用となりました。
ゲームのデバッグ作業のバイトの機会もありましたが、これは断りました。
最終的に、派遣会社を通じて某大手ゲームメーカーでのアミューズメント機器のサービス業務の仕事を紹介され、そこで働くことになりました。
この職は時給が良く有名なゲーム会社での勤務だったため、仕事自体も楽しく感じました。
具体的な仕事内容は、新しいアミューズメントゲーム機の故障受付の対応などを行いました。仕事の一環として行った秋葉原などの街歩きも楽しい時間でした。
東京での生活を約2年間楽しんだ後、私は満足感を得ることができました。
その経験を経て、地元へ戻ることを決意しました。
戻った後の計画としては、インターネットを使った副業に挑戦しながら、ゆったりとした生活を送ることを考えています。
この経験から、人生ではさまざまな選択肢があり、時には予期しないチャンスが自分の人生を豊かにすることを学びました。
また、仕事だけではなく、その場所での生活そのものを楽しむことの大切さも実感しました。
ネット副業(スモールビジネス?)時代
インターネットを活用した副業(スモールビジネス?)にチャレンジした経験についてお話しします。
初めての試みとして、YouTubeで動画を投稿したり、ブログを書いたり、メルカリで商品を出品したり、バズビデオで動画を公開したりしました。
しかし、これらの試みはほとんど収益に結びつかず、
YouTubeでの再生数はわずか10回、
ブログのページビューは1回、
メルカリでは商品が売れず、
バズビデオではたった1円を稼ぐに過ぎませんでした。
言うまでもなく、インターネットを通じた副業の世界は思った以上に厳しいものでした。
副業での失敗に心を痛め、現実からの逃避としてArduinoやRaspberry Piを使った電子工作にも手を出しました。
意外にも、この新しい趣味に私は深く没頭することとなり、これまでに培ったプログラミングのスキルが大いに役立ちました。
この電子工作は単なる趣味を超え、自己成長の機会となりました。
それにもかかわらず、約4年間に渡るインターネット副業の試みは、経済的な成功には繋がりませんでした。
収入を得るために短期アルバイトにもしましたが、これらの仕事は安定した収入源にはならずむしろ財政的に苦しくなる一方でした。
最終的に経済的な安定を求め毎月固定の給料がもらえるサラリーマンへと戻ることを決意しました。
この体験から学んだことはインターネットを利用した副業がすべての人にとって簡単な金儲けの手段にはならないという現実です。
成功するためには、時間、努力、適切な戦略、そして多少の運も必要になります。
また新しいことに挑戦する過程で予期せぬ形で満足感や自己成長の機会を見出すこともあります。
最終的には経済的な安定と心の平安を求めて従来の職業に戻ることが最良の選択となる場合もあります。
就職活動
40代の中盤に差し掛かった時私は新たな就職先を探すことにしました。
正直、この年齢での転職は容易ではないと思っていたため、
どの応募もうまくいかないだろうという覚悟でいました。
応募先は主にプログラマー系やパソコン関連の仕事でした。
これらがダメなら派遣社員として工場勤務をするのも悪くないと思っていました。
まず始めに自宅で働けるプログラミング関連の仕事(フルリモート職)を探しいくつかの求人に応募しました。
すべて書類選考で落ちました。
次にCADやデータ入力などのパソコンを使った仕事にも手を出しましたが、
こちらも同じく落選でした。
もう希望がないと思っていた矢先プログラマーの求人を扱うサイトから電話があり、面接の機会があると言われました。
しかしその職場は北関東にあり飛行機で1時間もかかる場所でしたので私は断りました。
それでも何かしらの反応があったことに少し希望を感じました。
その後、
派遣社員としての工場勤務の求人を探していたところ、
ある会社のホームページでプログラマー求人募集を見つけました。
過去の失敗が頭をよぎりましたが、
勇気を振り絞って
応募先会社のホームページの問い合わせに「40代でも応募しても良いですか?」と問い合わせしました。
しかし返答がなかったので他の求人を探し始めました。
数日後のことでした。
問い合わせた会社から「年齢制限はありませんのでぜひ応募してください」との返答がありました。
それを受けて、私はスーツを着て、職務経歴書とポートフォリオを準備し、面接に挑みました。
面接では、失業中に取り組んだ電子工作の話で意気投合しました。
その会社はシステムの開発を手掛けているようで、面接の後には職場見学もさせてもらいました。
プログラマーにチャレンジしてこれまで良い経験をさせてもらったなと思って帰路につきました。
数日後、採用の連絡を受けました。
職種はプログラマーでした。
この転職活動を通じて、40代でも実務未経験からでも道は開けることがあると実感しました。
その時の感動と学びは、今でも私の記憶に深く刻まれています。
この体験は、年齢に関わらず新しい挑戦の価値を認識し、決して諦めてはいけないということを教えてくれました。
プログラマーデビュー
私はプログラミングの基礎知識をある程度学んだ状態で職場に入りました。
が、
実際の業務に直面すると、学んできたことがほんの入り口に過ぎないことに気づかされました。
特に私が苦労したのはデータベースに関する知識の欠如でした。
データベースとは何か、その構造や機能をゼロから理解する必要があり、この一点だけでも大きな壁でした。
加えて、日々の開発業務で使用する専門のツールにも戸惑いました。
これらのツールは使い方を一から学ぶ必要があり、初心者にとっては一つ一つが新たな挑戦でした。
また、オブジェクト指向プログラミングの概念も、私にとっては難解な部分の一つです。入社してからしばらくの間、この概念を完全に理解することは難しく、今もなお学習を続けています。
入社1年目は、主に社内システムの開発補佐の仕事に携わりました。
小さな仕事ではありましたが実務を通じて学ぶことが多くありました。
2年目はシステムの設計の基本を学びより複雑なシステムの構築にチャレンジしています。
余談ですが
私の周りの若い同僚たちは素早く業務を覚えます。私の2倍くらい覚えが早いです。
しかし多くが会社を去ります。
フリーランスとしての道を選ぶことが多いです。
彼らの決断は尊重されるべきものですが、
私を含む40代のプログラマーたちは、異なる道を歩んでいます。
知識を深め、スキルを磨き、この分野での長いキャリアを築くべく努力を続けています。
プログラミングは難しいかもしれませんが、学ぶ価値は無限にあります。
毎日が発見と成長の連続であり、この挑戦を通じて私たちはより強く、賢くなるのです。